NISSAN PRAIRIE

 1000年津波の年に10年落ちの HONDA Z へ乗り換える事となった日産プレーリーである。気がつけば30年落ちまで乗り続けた事になる。発売を知ったのは、米国誌カー・アンド・ドライバーの日本語版、小さなコラムだった。米国での発売だった。商用車かと思わせるズングリムックリのデザインながら、さすがにミニバンの国はこんなデザインでも認知されているんだと感心した記憶がある。

 暫くしてから家族構成の変化に伴い、ミニバンで4WDと云う内容で、お世話になっている整備工場さんに頼んでいた所、杜の都からやって来たのがこのプレーリーだった。マニュアルシフトの先に付いているボタンで切り替えるパートタイム4WDだった。乗り回してみると、3500rpm辺りで吹き上げがもたつき加減、アチコチギクシャクする感じが伴っていた。早速定番のショックアブソーバを交換、モリブデン添加剤をエンジンオイルに混入して一速で目一杯踏み込みながら乗り始める事1〜2年、7000rpm位までストレス無く回り、キビキビと走り回る様になっていた。

 あのカー・アンド・ドライバーのコラムでの印象とは裏腹に、先進性と日産技術陣の総力が込められていたと知ったのは3〜4年後であった。

NISSAN PRAIRIE: FULL OPEN

 国産初の3列シート7人乗り、センターピラー無しである。これがとても便利だった。後部座席からの出入りがとても楽なのである。また、チョットしたキャンプごっこの時に、フルオープンのこの車が憩いの空間となったものだった。引っ越し荷物も、邪魔なセンターピラーが無いので脇からどんどん積み込めもした。運転席の空間以外は全て荷物のぎゅうぎゅう詰めという事が度々あった。その後は側面衝突時の車体強度が認識され、20年間程この手のセンターピラー無しの車は姿を消す事になる。

 まがい物の格好だけのRV車時代もやっては来たが、プレーリーの4WDモデルはえらく志が高かった。センターデフの位置がとても高いのである。轍走破性に重きを置いた設計では無かったろうか。また、エンジン下部にはしっかりとアンダーガードが施されてもいた。ジープかランクルかとでも云いたくなる程である。おかげで、我が地方の積雪の朝、まだ除雪のされていない道路や敷地内を一番乗りに乗り入れても、足が地面に付かない石の上の亀状態にはならず(ここいら辺では腹をつかないとも云う)簡易圧雪作業に向いていた。とは云っても、年間を通して積雪時も殆どFF走行で過ごしても来た。

 4〜5年経ってから気付いて恐縮であるが、エンジン、点火系統がやけに多めだなとよく見ると、なんとツインスパークである。Zかセントラか、はたまたアルファロメオ(高速燃焼スポーツ側に振っている)か。いやいや今時ではフィットも採用しているとの話が。日産の場合Z型と称され、L型エンジンの公害対策エンジンの一つとの解説も見受けられる。

 国産初の3列シートセンターピラー無しミニバンで本格オフロード仕様4WD、エンジンはと云えばツインスパークと、開発陣の実直な姿勢を感ぜずにはいられない次第。

 その後、エンジン下部のオイルまみれ状態の悪化と、7〜8km/L程度しか走らない燃費の悪さとで別掲 HONDA Z への乗り換えとなった。


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